ちょっと前に「時をかける少女」を見た。
見終わったあとは涙を流し、少し興奮していたのだけど、落ち着いてみるといろいろ思うこともあるので少し。しかしもちろん、とてもいい映画だと思います。
で、この映画、どえらくポジティブな映画です。未来に対して納得できるように、今を選択してゆこうというメッセージを、ものすごく元気よく発信しまくっています。以下ネタバレ注意な感じなので、見てない人は見ないほうがいいかも。
記憶はそのままに時間を遡ることができるという「タイムリープ」によって無限の数の選択の中から主人公にとって最良と思われる選択をしてゆくのだが、結局どこかで主人公以外の誰かがその不利益をこうむってしまうので、じゃあ全部なしにして後戻りできない中で最良と思う選択をするしかないじゃん、それでいいじゃん、という話。
んでまずはSF的な疑問点から(でももしかしたらこれが一番決定的かもしれない)。主人公がタイムリープする力を得ることができたのは、(実は)未来から来ていた友人の千昭の落し物によるものだった。途中で千昭は主人公がタイムリープする力を得たことに気づいて、主人公が最後の一回を使い切ったあとに、彼のタイムリープできる限度の最後の一度を、彼女の選択の失敗のために使ってしまう。つまり、未来に戻れなくなってしまう(まぁここ、未来にも行けるというのも不思議な話のような気がするも、千昭が未来から来ているので、まぁそれもありか)。で、それを苦しく思った主人公が千昭がタイムリープしてくれたおかげで戻ってきた最後の一回を、全部なしにするために、使う。あんまり変じゃないような気がしたのだけど、タイムリープをした本人以外はその未来の記憶ももちろんなくなるわけです。が、千昭が最後の一回を使ったときは例外的に二人以外の時間が時間が戻ったその瞬間で止められていて、主人公の記憶もそのまま。これはSF的にアウトなんではないでしょうか… ここの説明がないと、腑に落ちません。なんかひっかかる大きな点の一つ。誰かわかる人いたら説明よろしく。ここが解決できたら大傑作エロゲ「Cross†Channel」との比較で面白いことができそうな気がします。このエロゲも湧く事態は非常に似ていると思うので。
もう一つは、このどポジティブな感じについていけない人たちは、これを見ても絶望しか残らないのではないか、ということ。主人公への感情移入を求め、どポジティブなメッセージを受け取ってもらうための映画である(とぼくは思う)ので、そこからはじき出された人はどうしたらいいの?っていう点。やっぱりぼくもこんな甘い青春時代は過ごしておらず、ガノタ・メタルオタク・エロゲ厨仲間で固まっていたような人間なので、映画を見たあとよくよく考えてみたら、見終わったあとの涙に混じっていた変な感じは、そっからはぶられた疎外感じゃないだろうか、ということ。被害妄想なのかな…? しかしそれがあるのであれば、彼らへのケアはこの映画では全くされない(それがこの映画の価値を貶めるかと言えば、そういうものでもないんだろうけど)。うーん。いまいち解決された感がしないのは、こういうこともあると思う。まだ前述の「Cross†Channel」ではそこら辺のケアは、さすがにエロゲだけあってw上手くこなされている気がします。やっぱり一回まじめに比較してみるべきか。