プロレスに関する妄言その2


プロレスというジャンル=ロマン主義というジャンル
(理念、というかイマジナリィなものの希求)
→プロレスの試合=ロマン主義の作品
→レスラー=ロマン主義の作家
ロマン主義はその個別性を重要視するため、
その起源や生成過程が非常に重要なものとなってくる。
プロレスにおいてはターザン山本において特に顕著なように
その個々の事件を概念化する傾向がある。
例えば長州の維新革命、天龍同盟、四天王などなど。
この概念化を基礎付けるものはレスラーや団体の歴史性である。
長州の長い下積みがあってこそ、
エリートレスラー藤波辰巳に対する維新革命があった。
プロレスは見るものに常に時間軸を背負うことを強要する。
堆積された記憶こそがプロレスである。
つまりその歴史性の重み、イマジナリィなものへの希求という二点において
ロマン主義とプロレスはまったく同種のものといえるはずだ。


そういう意味で藤波の歌、「マッチョドラゴン」は、
本当にすべてを台無しにしたな…
いろんな意味で最低で、でも嫌いではないんだけどね…