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メモ。というかプロレス覚書。
・竹本健治『ウロボロスの偽書』
アンチ・ミステリを含むメタフィクションにおける世界の描写は、
閉じた構造としての物語性や決定/非決定の間の揺らぎ、
最終的な帰結の不在等による「プロレスにおける不確定性原理」である。
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・入不二基義『「ほんとうの本物」の問題としてのプロレス』
(→オースティン・トンプソン『プロレスにおけるリアリティの問題』)
プロレスにおける基礎フレーム*1の不安定性
プロレスの基礎フレームはガチンコの喧嘩*2であるが、
プロレスはそのさらにメタ次元にある「理念としての喧嘩」と常に交信している
基礎フレームが理念であるがゆえの、「ほんとうの強さ」という超越論的概念の内在化の可能性*3
・ロラン・バルト『レッスルする世界』
プロレスラーの身体あるいはプロレスそのものというシニフィアン
→身体の物質性→後期バルトにおけるテクスチュア(肌理)概念
ある意味、八百長スポーツであるが故の「魂のない身体=魂と化した身体」
(cf.蔵前国技館での最後のプロレス興行、アントニオ猪木対長州力戦における
長州のさそり固めに数分間もの間耐える猪木の顔は、
身体表現が感情、この場合は苦痛であるが、それ自身の中にいる人間である
ということをもっとも顕著にあらわしていると思われる。)
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「レスリングは発音記号のようだ」
社会的に流通している文化的コードの産物としてのプロレス
→バルト的に言えば、神話に依拠した「たぶらかし」
この同一性の志向は神話作用の具現化とルールと正義の弁証法という
その段階的構成に規定される。
←→しかしプロレスの身体表現は、その物質性によって意味作用の神話を暴露する。
プロレスというジャンルの存在自体の脱構築性