シンポジウム「越境するダンス」@新国立劇場
松岡正剛が司会者になって、
天児牛大、勅使河原三郎、梅若六郎、高田みどり、毛利臣男、木佐貫邦子
この六人が代わる代わる席を立ち、席に入りながら話を進める
という形のものでした。
やっぱり松岡正剛と勅使河原三郎のインテリジェンスの高さがやたら目立ってたw
まとめるのはさすがにつらいので、気になったことをひとつだけ。
勅使河原三郎に対して「生き物としてのサンプリング・ダンサー」
という言葉を松岡正剛が使っていましたが
(もしかしたら勅使河原が自らに対して言った言葉だったかも)、
この言葉は土方の「突っ立った死体になる」という言葉と
ほとんど同義で使われていたと思います。
また天児牛大の「天児(あまがつ)」とはそもそも、
人形以前の形代のことで、やっぱりこれも似たような意味を持つし、
能の世界でも夢幻能が相通じるところがあるのでは、とかなんとか。
身体をメディアとして扱うことがここではもっとも重要なこととなりましょう。
このような身体をメディアとして扱うやり方は、
外からの痕跡をとどめるという「皮膚-自我」の一機能として、
その「痕跡」という関係項の中に身体を沈めていく作業だ、
ということができるかもしれない。


以上くだらない雑文その二でした。