土方巽ジャン・ジュネと出会った。
ジュネは盗み、体を売ることで、
つまり自らの身体を理念に差し出すことで
自らを異化することに没頭した。
土方はそこに何を見たか。
自らの身体の非自己的性格を見出したように思う。
ジュネの、読んだ人を陶酔させるようなあの文章の美しさは
実は自己の何かへの投影ではなく
その全く逆のことなのではないだろうか?
土方の文章は何かへの投影の影を見せることなく、
言葉と言葉との関係だけで一切が書かれている。
単語の意味と意味との、不可解な繋がり。
それに続く感情しか表さない感嘆の言葉。
彼の文章は助詞と感嘆詞によって成り立っている。
数理的、物理的な意味での関係の一次性と
不可知なものへの驚きとを結ぶ関係こそが
おそらく舞踏というものなのであろう。


あー9/10の袋井でのひとさらい見にいきてー