二つになってとかつて言われたものに戻る。
最後にもっと悪く失敗されて以来まもなく以来ずっと侵している。
あいだに広大無辺以来ずっと。
もっと良くもっと悪くいまはいまからは胴体をのぞいて全て消え去ったと言う。
骨盤から下は何もない。首筋から上も。
上もなく下もない胴体の背面。
脚もなくとぼとぼ歩き続けている。
右左遠ざからないまま。


(サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』P.73より抜粋)


「これが最悪だ、と言えるうちはまだ最悪ではない。」
(『リア王』第四幕第一場)
「最悪」という極限への微分の内側においては
当然あらゆる比較級は「最悪」を志向する。
もっと良くもっと悪く最も悪い方へ。
最悪としての空白は言葉を無効化する。そしてその空白はある。
極限は存在するんだ。
もうどうにも言われない。
この言葉は最悪を志向し、たどり着いて、自ら崩壊。
はは、ざまぁ。
それはそこにある以前から存在した。
この場所に行くべきなのでしょうか?